コロナウイルスを心の底から許せない話
私の備忘録として使っているブログなんで、今回は本当に備忘録です。
なんせ、私の本業の話ですから。
ちょこちょこ明かしてましたが、
私の職業は教員です。
今回、学校は3月2日から24日まで、休校を余儀なくされました。
精神が崩壊しそうなので吐き出して置きます。
始まりは卒業式に5年生(在校生)が出られないかもしれないという話でした。
せっかく送る言葉を準備して、気持ちも揃ってきたのに…
その程度ならまだよかったことをこの時は知りません。
同じ日、通信票を書くためにいつもと同じように残業していたところ、18:30頃にあのニュースが入ってきました。
コロナウイルスのため、来週の月曜から春休みまで休校を要請
職員室に残っていた教員は唖然としました。
要請ってことは強制ではない?
でも国のトップが言っているから例外はないよね?
卒業式まで子供に会えないってこと?
明日で学校終わり?何も終わる準備できてないけど?
未履修の教科出てくるけどどうする?
テスト終わってないよ?
転校する子に何も準備してないよ?
教員側もこのニュースで初めて休校になるかもしれないことを知りました。正に寝耳に水。
明日、自分の自治体の教育委員会から通達が来ない限り、何もできないのでとりあえずその日は帰るしかありませんでした。
ただ、学校に問い合わせは一切なく、良識のある保護者でよかった。よかったことなんてそれだけです。
翌日、朝になっても分からない状況は続きます。当たり前です。勤務時間終了後にあんな決定事項流すんですから。決まるのは昼になってからだろうということでした。
それでも、おそらく残された時間はあと1日。
不確定な状況でなんとかするしかない。
できることはかなり限られました。
とにかく図工や書写などの作品を返すこと。
ちょうど区切りがよかった国語と算数の単元を終わらせて、未履修をひと単元だけにすること。
たまたまこの日、子供達が企画していたお楽しみ会を、転校する子のためのお別れ会にすること。
学年集会を開くこと。
学年集会は私が主任にお願いしました。転校する子のためでした。
朝、子供達には正直に話しました。
私達もニュースで事実を知ったため、何も決まっていないこと。
それでもおそらく今日が最後の1日になること。
だから、すべての予定を変更して今日の1日を過ごすこと。
「正直、これが6月とか9月とか、行事とかも何もないときに休みって言われたら、授業は遅れて大変かもしれないけど、まあなんとかなる。でも3月って、お別れのとき、次の学年への準備の時期で、それって二度と取り戻せないんだよね。」
という話をしたところ、子供達がものすごく同意していたので、この時、子供達もただ休みが増えたことに、諸手を挙げて喜んでいるわけではなく、とても複雑な心境なんだと分かりました。
お楽しみ会を企画していた子達に転校する子のお別れ会にしたいと話したら、もうその予定で、その子がやりたいことをやろうと話していました。準備していたものがたくさんあったにもかかわらずです。
ただ、転校する子もそれを知っていて、「予定していたものでいい」と言ってくれました。
更に、企画の子達はiPadを貸してほしいと言ってきました。サプライズでビデオメッセージを全員分撮るということでした。
私もこのままでは終われないので、転校する子の作品バッグに寄せ書きをすることにしました。みんなは快く引き受け、真っ白だったバッグはたくさんの言葉で埋め尽くされました。
更に別の子からメッセージカードを渡したいので画用紙がほしいと言われました。
この状況に、絶対思うことはいっぱいあったのに、誰も何も文句を言わず、できることを精一杯したのです。
もっとびっくりしたのは、私にまでプレゼントを用意していたことです。
一か月程前から準備していた、メッセージブックがあったんだそうで、慌てて全部完成させたものでした。
子供達の温かさに、この子たちの担任ができて本当によかったと思いました。
どこにでもいる一教員なので、そんなに仕事大好き人間ではありません。
生徒指導で悩んだ日もたくさんありました。
こちらが不登校したい日もありました。
それでも、子供達はやっぱりかわいいし、大きく成長していたことをこの日痛感しました。
この学年が終わるまで、あと、16日でした。
この後、お楽しみ会の最中に呼び出され、
3月2日から24日まで、休校になることが正式に決まりました。
1〜3年の児童に対しては、学校に来て学童的な場にする措置がとられます。
宿題を出すためだけに、通信票をもらうためだけに登校する日が2日設けられました。
卒業式は卒業生と教員のみで行われます。
保護者もいません。
転校する子は、共働きの両親の元より祖父母のいる転校先の方がいいという判断で、登校日2日間は来ないことが、下校後に分かりました。
最後、全員揃うことは叶いませんでした。
もう少し猶予がほしかったけれど、コロナウイルスを広めないためにはこの方法しかなかったのかもしれません。
上の決定に私たちは従う以外何もできません。
これが現場の現実でした。
二度とこんな日が来ないことを願います。
これを書いている最中も涙が溢れてきました。
早く、元の生活に戻れることを切に願います。
ちなみに、この後待っているのは、通信票、成績処理、クラス編成…と仕事は尽きません。
ただ、子供達が来ないので、日中にこの作業はできる、定時には帰れるでしょう。
定時に帰れる日を何度夢見たか分かりませんが、こんなことで定時に帰れても嬉しくないし、モチベーションはだだ下がりです。
娯楽も制限されていますからね。
何を糧に生きればいいか分からん。
オタクの楽しみも仕事の楽しみも奪われました。